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大阪地方裁判所 昭和56年(わ)2547号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一本件公訴事実は、「被告人は、韓国に国籍を有する外国人であつて、昭和四七年一〇月二六日ころ、本邦に入国し、大阪市生野区勝山北一丁目一一番二七号等に居住していたものであるが、右上陸の日から六〇日以内に、所定の外国人登録の申請をしないで、その期間をこえ、昭和五六年六月一三日ころまで同所等本邦に居住在留したものである。」というのである。

ところで、外国人登録法二条一項は、「外国人」を定義して、日本の国籍を有しない者のうち出入国管理令(当時施行)の規定による仮上陸の許可を受けた者等以外の者とし、従つて同法違反罪が成立するためには、当該被告人がまず日本の国籍を有しない者であることが証明されなければならない。

しかし本件においては、被告人の当公判廷における供述、被告人の検察官、司法警察員及び司法巡査(三通)に対する各供述調書、塩谷千代の司法警察員及び司法巡査に対する各供述調書、金淳永の司法巡査に対する各供述調書(二通)、金賛浩の司法巡査に対する供述調書、法務省入国管理局登録課作成の外国人登録調査書、司法巡査作成の外国人登録事実電話照会結果復命書、大村入国者収容所長作成の指紋照回についての回答書、韓国済州市長作成の戸籍謄本(昭和五六年押第八九一号の一)、右戸籍謄本の翻訳書(写)並びに家事審判官作成の審判書の謄本(裁判所書記官作成の証明書を含む。)によつて認められる事実関係を前提として検討するならば、被告人は出生によつて取得した日本国籍をいまだ喪失していないものと認めざるをえない。

以下その理由を述べる。

二まず前提となる事実関係については、前掲各証拠によれば、次のように認めることができる。

1  被告人は、昭和一七年九月一六日、神戸市内で、朝鮮戸籍令の適用を受け同令に基づく戸籍(以下朝鮮戸籍という。)に登載されていた父Aと戸籍法の適用を受け同法に基づく戸籍(以下内地戸籍という。)に登載されていた母甲女の婚外子(男子)として生まれた。

2  被告人は、昭和一七年一〇月一〇日、父である右Aにより、当時その妻であつたB(朝鮮戸籍登載者)との間に出生した長男として嫡出子出生届がなされたことにより、直接朝鮮戸籍に登載された。

3  被告人は、四歳のころ、父A及びその家族とともに本邦を出国し、昭和四七年一〇月二六日ころ、正規の上陸許可等を受けず再び本邦に入国し、以後大阪市生野区勝山北一丁目一一番二七号等に居住、本邦に在留している(なお右上陸後昭和五六年六月一三日ころまで外国人登録の申請等特段の手続はしなかつた。)。

4  右甲女と被告人との間の親子関係については、昭和五七年一月二六日大阪家庭裁判所において右両者間に親子関係が存在することを確認するとの審判がなされ、右審判は同年二月一三日確定した。

三以上の事実関係を前提として、被告人の国籍について検討する。

なお当時内地と朝鮮は異法地域を構成していたところ、父Aの本国法である朝鮮民事令一一条一項但書は、本件に関連する認知について昭和二二年法律二二二号による改正前の民法(第四編及び第五編につき明治三一年法律第九号、以下旧民法という。)を適用(朝鮮民事令一条一号)し、又国籍関係については、当時の国籍法(明治三二年法律第六六号、以下旧国籍法という。)は明文上朝鮮に施行されるとの規定は存在しなかつたが、条理上同法が同地に準用されると解されていたから、以下の判断は、旧民法上、旧国籍法上父及び母に対する関係でいずれも同一となり、法律の牴触の問題は生じない。

1  被告人の出生時(昭和一七年九月一六日)における法的地位について

(一)  被告人の出生時における親子関係

前記認定の被告人の出生関係から見れば、Aが被告人を胎児認知(又は出生と同時に認知)した証跡がない以上、被告人は出生時、同人と法律上の親子関係があつたということはできず、法律上は「父の知れざる子」に該当し、母塩谷千代との間の分娩に基づく親子関係のみが存在した。

(二)  被告人の出生による国籍の取得

そうすると、被告人はその出生時、父の血統(旧国籍法一条)にはよらず、旧国籍法三条の規定に基づき母の血統によつて日本国籍を取得したことになる。

(三)  被告人の戸籍上の地位

右国籍取得原因に照らせば、条理上、被告人はその出生によつて母甲女に随伴して戸籍法の適用を受け、内地戸籍に登載されるべき地位(具体的には旧民法七三三条二項の規定によつて母甲女の家に入る、即ち同女と同一の内地戸籍に記載される。)を取得したといわなければならない。

2  父Aの嫡出子出生届による被告人の右法的地位変動の有無について

前記のとおり被告人については、その後父Aにより嫡出子出生届がなされており、右届出は虚偽のものといわざるを得ないが、なおこの届出がいかなる効力をもつか、そして被告人の取得した前記法的地位にどのような影響を与えるかが本件における問題となる。

(一)  虚偽の嫡出子出生届の効力について

虚偽の嫡出子出生届がなされ、それが戸籍事務管掌者により受理された場合は、認知届としての効力を認めてよいことは旧民法当時から確定した裁判例(旧民法当時のものとして、大審院大正一五年一〇月一一日判決、大審院民事判例集五巻七〇三頁、なお現行民法下のものとして、最高裁判所昭和五三年二月二四日判決、最高裁判所民事判例集三二巻一号一一〇頁)であつて、本件の場合にこれと別異に解すべき根拠はない。

(二)  右認知の効果について

したがつて右認知届によつて、Aと被告人間に法律的な父子関係発生の効果は認められるところ、これにより更に旧民法七三三条一項の規定に基づいて、被告人が父Aの家に入るかどうか、即ち朝鮮戸籍に転籍されるべき法的地位を取得するかどうかを検討しなければならない(なおこの場合認知の遡及効(旧民法八三二条本文)による朝鮮戸籍に登載されるべき法的地位の生来的取得は否定されるべきである(旧国籍法五条の解釈に当つて同旨、実方正雄、国籍法〈新法学全集三〇頁〉)。)。

ところで当時内地、朝鮮、台湾等日本国の範囲に含まれながら異法地域を構成している地域間の法の連絡と調整をはかるために共通法(大正七年法律第三九号)が存在し、そのうち戸籍関係の連絡統一のため、同法三条一項は「一ノ地域ノ法令ニ依リ其ノ地域ノ家ニ入ル者ハ他ノ地域ノ家ヲ去ル」と規定しつつ、同条三項において「戸籍法ノ適用ヲ受クル者ハ兵役ニ服スルノ義務ナキニ至リタル者ニ非ザレハ他ノ地域ノ家ニ入ルコトヲ得ズ」としてこれを制限していた(昭和一七年法律第一六号による改正後。同年二月一七日より施行。)。右同条三項の規定によれば、戸籍法の適用を受ける内地人のうち満一七歳から満四〇歳までの男子(兵役法二条、九条二項(第二国民兵役該当者)が内地戸籍から朝鮮戸籍への転籍を禁止されることは明らかであるが、いまだ兵役義務年令に達していない被告人のごとき満一七歳未満の者に右第三項の適用があるかどうかの検討が必要である。

この点について、明治六年に徴兵令が発布され、昭和二年兵役法をもつてこれに代えられて以来、昭和一八年法律第四号及び同年法律第一一〇号による各改正まで兵役義務者は戸籍法の適用を受ける日本人(内地人)に限られた(内地人服役の原則)。したがつて当時において内地人が朝鮮籍(朝鮮戸籍令の適用を受けるべき地位、以下地域籍について同旨)等外地籍に移動し、内地籍(戸籍法の適用を受けるべき地位、以下同。)を喪失することは、それだけ兵員の減少をきたすことになる。そこでこれを防止するために、兵役義務者ないし兵役関係者たる内地人男子の外地籍への移動を制限したのが同法三条三項の趣旨であり、右趣旨は、昭和一八年法律第四号、同年法律第一一〇号の各兵役法の改正によつて内地人服役の原則が順次撤廃されると同時に、共通法三条三項が結局は削除された(同年法律第五号を経て同年法律第一一〇号附則による。)経過からも容易に首肯される。しかも太平洋戦争に突入し、戦争がいつそう激化した昭和一七年当時にあつて兵員の確保は国家の最大の急務であつたことは明らかであり、このような情勢のもとで兵員の質的、量的確保を背後から担つていた共通法三条三項が、もはや兵役義務を負担することのなくなつた満四〇歳を超える者とは異つて、将来兵役義務を負担するに至る満一七歳未満の内地籍男子について、兵役義務のない外地籍への転籍を許容する趣旨であつたとはとうてい解し得ず、同条項はいまだ兵役義務年限に達しない零歳から満一七歳までの内地籍男子にも適用されると解するのが相当である(行政先例、司法省民事局長回答・昭和一七年九月一〇日民事甲六三〇号、朝鮮総督府法務局長通牒・昭和一八年一月七日法民乙三号、法務省民事局長回答・昭和四〇年一一月二七日民事甲三二八七号も同旨)。

なお検察官は、右解釈に反対の行政先例の存在及び同条項と同様の趣旨で制定された旧国籍法二四条一項が満一七歳未満の男子を国籍喪失の制限から除外していることを根拠に、共通法三条三項の規定は、当時満一七歳未満であつた内地籍男子には適用ない旨主張する。たしかに共通法制定の初期において検察官主張のような行政先例は見受けられる(司法省民事局長回答・大正一二年一〇月二二日民事三九七五号、同・昭和四年九月一一日民事六五五五号、同・昭和五年八月二七日民事甲九四〇号)が、右各先例を、時代背景を全く異にする本件昭和一七年当時における共通法三条三項の解釈において参照することはできず、旧国籍法二四条一項との対比についても、国籍の離脱と内地籍からの離脱とは、事の重大性と難易、頻度に大きな隔りがあり、更に事柄としても日本国籍からの離脱、即ち日本人としての地位の放棄と、日本人としての地位を留保しつつ兵役義務のみを免れることとを同一に論ずることができないのは明らかであり、従つて旧国籍法二四条一項の規定を共通法三条三項の解釈に当つて参考にすることもまた相当ではない。検察官の右主張は採用できない。

前記共通法三条三項は強行法規と解すべきであり、そうすると、昭和一七年一〇月一〇日当時右規定によつて、被告人については、内地戸籍から朝鮮戸籍への転籍は禁止されていたことになる。

(三)  結論

以上のとおり、昭和一七年一〇月一〇日被告人の父Aが行つた嫡出子出生届による認知の効果は、同人と被告人間に法律上の親子関係を発生させるに止まり、被告人をして朝鮮戸籍へ転籍させ、これに伴い内地戸籍に登載されるべき法的地位を喪失(共通法三条一項)させる効力はこれを有していなかつたというべきである(あたかも父が家族で戸主の同意がない場合に、父による婚外子の認知が家を同じくしない父子関係を成立させるに止る(旧民法七三五条一項)のに等しい。)。

3  更に検察官は、被告人はすでに朝鮮戸籍に登載されているのであり、仮にこれが登載の当初無効だとしても、その後前記昭和一八年法律第五号に基づく共通法三条三項の改正により内地、朝鮮間の前記地域間転籍の制限は撤廃され、被告人についての右転籍障害は除去されたから、右改正法が施行された同年八月一日をもつて被告人の朝鮮戸籍への登載は有効となつたと解するのが当事者の届出意思及び法の目的に適うものである旨主張する。

しかし前記のとおりAのした認知は父子関係を発生させるものの、子を父の家に入れるとの家族法的効果は有していなかつた(その意味では前記共通法三条三項は単に戸籍法規上の転籍障害に止らず、実体的に私法上の効力を制限していたものである。)のであるから、同条項の改正による制限の撤廃が直ちに従前なされた認知に新たな効力を賦与し、あるいは未だ家に入つていない者を自動的に家に入れるとの効力を有すると解すべき根拠はない。この点についての検察官の主張も採用できない。

4  以上によれば、被告人は父の認知にもかかわらず、朝鮮戸籍令の適用を受け朝鮮戸籍へ登載されるべき法的地位を取得せず、引続き内地戸籍へ登載されるべき者としての地位を維持していたものであるから、前記朝鮮戸籍への登載はその原因を欠く無効なものといわなければならない。

5  平和条約発効による日本国籍喪失の有無について

昭和二七年四月二八日の平和条約の発効は、日本と朝鮮との併合後において、日本の国内法上で、朝鮮人としての法的地位をもつた人、即ち朝鮮戸籍令の適用を受け、朝鮮戸籍に登載された人について、日本国籍を喪失させるものと解すべきである(最高裁判所昭和三六年四月五日判決、最高裁判所民事判例集一五巻四号六五七頁)。しかるに被告人は前記のとおり朝鮮戸籍に登載されていたが、朝鮮戸籍令の適用を受けるべき法的地位になく、その戸籍登載は右地位に基づかない無効なものであつたから、右朝鮮戸籍への登載の事実をもつて、日本国籍喪失の原因とすることはできない。

他に被告人が日本国籍を喪失したと認めるべき証拠はない。

四以上のとおり、被告人は外国人即ち日本国籍を有しない者と認めることはできないので、結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰し、よつて刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(国枝和彦)

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